製造業の基幹システム刷新で、顧客側PMO(発注者側に立つPMO)を社外から迎えるとき、選定の基準になるのは、会社の規模や導入実績の件数というよりは、ステークホルダーマネジメント(部門やベンダーといった利害関係者の間に立って調整し、合意を作ること)の能力と、その能力が発揮される条件の2点です。
基幹システムの刷新には、いまも実際に投資が向かっています。JUAS(日本情報システム・ユーザー協会)が2026年2月に公表した『企業IT動向調査2026』プレスリリース第1弾では、2025年度計画でIT予算が増加した理由の最多が「既存システム・基盤の刷新・更新・増強」で、約7割(66.3%)を占めました。東証上場企業とそれに準じる4,500社のIT部門長に依頼し、2025年9月から10月にかけて実施して、957社から回答を得た調査です。SAPのERPの標準保守が2027年に区切りを迎えることもあって、製造業では基幹システムの刷新が多くみられます。
一方、当社がかかわってきた現場では、こうしたプロジェクトが止まるのは、リスクが経営・部門・現場のそれぞれの層に分散したまま、全体を見る役が空席になったときです。基幹システムの刷新で顧客側PMOが要るのは、作業量を分担するためというよりは、層をまたいで分散したリスクを俯瞰し、決められない論点を決められる形への変換役が必要になるからだと考えられます。
そもそも顧客側PMOとは何を指すのか
PMO(プロジェクトマネジメントオフィス)は、計画・進捗・品質・意思決定を横断で支える機能を指します。顧客側PMOは、そのうち発注者側に立つものです。提案書や社内資料では発注者側PMO、ユーザー企業側PMO、社内PMOとも呼ばれますが、指しているものは同じで、システムを発注し、稼働後に使い続ける側の立場に属するPMOのことです。
当社に顧客側PMOのご相談をいただくとき、顧客の言葉は2点にあります。1点目は「全体を見てほしい」です。2点目は「ファシリテーションをして、顧客側をリードしてほしい」です。丸投げに近いと言われればそのとおりですが、これが現場ですね。
そうなる理由は、役割の分布にあります。個々のシステムはベンダーが見ており、個々の業務は各部門が知っています。一方、部門をまたいで全体の整合を取り、決められない論点を決められる形に置き直す役だけが、社内では空席のまま残ります。基幹システムの刷新は数年に一度の出来事ですから、その役を担った経験を持つ人が社内で限られるのは当然でもあります。
顧客側PMOとベンダー側PMOは、何が違うのか
違いは、負っている責務にあります。受注者側のPMOが負っているのは、契約で定めた範囲を、定めた期間と費用の中で完遂する責務です。顧客側PMOが負っているのは、契約の外にある論点も含めて、発注側として何を選ぶかを決められる形にする責務です。したがって、ある部門の要求を受け入れるかどうかは、受注者側にとっては同時にスコープと採算の判断になります。これは担当者の姿勢から来るものではなく、契約構造から来るものです。
顧客側で決めなければならない論点は、部門間の優先順位や、稼働後に誰がその運用を引き受けるのかといった、契約の外にある事柄を多く含みます。この調停まで受注者側のPMOに委ねると、個々の判断そのものは妥当であっても、その判断が発注側の都合から出たのか受注側の都合から出たのかが、社内の部門から見て区別できなくなります。調整役の言葉が信用を失うのは、この区別がつかなくなったときです。
ERP刷新のリスクは、なぜ経営から見えなくなるのか
リスクが経営・部門・現場という三つの層に、それぞれ別の種類で分散するからです。各層は自分の層のリスクを正確に見ています。見えなくなるのは、層をまたいだときに何が起きるかだけです。
経営の層が見ているのは投資回収と稼働時期です。部門の層が見ているのは自部門の業務が回るかどうかです。現場の層が見ているのは日々の伝票が通るかどうかです。三つとも、その層から見れば正当な関心です。
リスクの種類も複数あります。要員の確保の難しさや鍵になる担当者の離脱といった人のリスク、パッケージが自社の商習慣や輸出入の実務に合わないという技術のリスク、予算と期間が先に決まっているという資金のリスク、部門をまたいだ情報共有が滞るリスクが同時に存在し、しかも層ごとに見え方が違います。当社が実務で見てきた範囲でいえば、現場の担当者が経験で補ってきた運用が暗黙知のまま残ってシステム仕様の外に置かれ、稼働後に在庫の数が合わなくなる、といった形で表面化します。現場の層で起きた一つの事象が、部門の層では出荷の遅れになり、経営の層では売上の下振れになります。同じことが、層ごとに別の名前で報告されるわけです。
技術的な制約は実在します。ERPパッケージが日本の商習慣や日本語の扱いに弱いこと、グローバル展開をしている国内製造業にとっては該非判定(輸出しようとする貨物や技術が規制の対象に当たるかを判定する手続き)や輸出規制に関する機能が手薄に見えること、通関に必要な帳票のテンプレートが不足すること、CRMなど周辺システムとの連携が想定の外にあることは、いずれも現場で実際に突き当たる制約です。一方、それが致命傷になるかどうかを決めているのは制約そのものではなく、その制約がいつ、誰の判断の俎上に載るかです。要件定義の段階で分かっていれば、選択肢を比べる話にとどまります。設計の後半まで持ち越すと、先に決まっている予算と期間に突き当たり、手戻りになります。
顧客が「全体を見てほしい」と言うとき、求められているのはこの俯瞰です。層ごとに分散したリスクを一枚に並べ、どの層の誰がいつ判断するのかを決められる形に置き直す。要件定義そのものをどう整えるかは、DXプロジェクトの要件定義を再考するで詳しく書いています。
ステークホルダーマネジメント能力とは、具体的に何ができることか
ステークホルダーマネジメントの能力とは、決められない論点を決められる形に置き直し、抵抗の矢面に立ち、合意の期日まで握る、この一連を引き受けられることです。求められているのは、会議運営や資料作成の先にある、合意形成力です。
「リードしてほしい」の中身も、ここにあります。刷新プロジェクトの事務局は、社内政治と長期の人間関係の中に立っています。部門から強い抵抗を受けたとき、社内の人間は翌年も同じ相手と働き続ける以上、正論より関係の維持が優先される場面が出てきます。人によっては、精神的に追い詰められる場面にもなります。当社が実務で繰り返し見てきた場面です。社外の立場であれば、その関係のしがらみの外から、論点をロジックで整理し、同時に相手と信頼関係を作りながら、合意まで運べます。
顧客側PMOの能力は、なぜ提案書と面談では見分けられないのか
ステークホルダーマネジメントの能力が、資格や導入実績の一覧の外にあるからです。件数や年数から読み取れるのは経験の量までであり、利害が割れた場面でその人がどう動くかは、別の情報から確かめる必要があります。したがって当社は、能力そのものを見極めようとするより、能力が発揮されるための条件が揃っているかを先に確かめることをお勧めしています。
その条件は、性質の異なる2つの軸で確かめられます。1点目は、利害の軸です。これが中立性の定義に関わります。その会社の売上がどこから来ているか。ソフトウェアのライセンス、システム構築の請負、要員の常駐単価のいずれかに売上の柱があると、評価と提案は構造的にその柱の方へ引っ張られます。これは担当者の良心とは別に、利害の設計がそう働かせるものです。売る側の立場では、同じ助言をしても「売るための理屈」に聞こえてしまい、調整役としての言葉が信用を得にくくなります。2点目は、体制の軸です。これは中立性とは別の、実行体制の基準になります。抵抗の矢面に立つのは、現場に入る人です。組織が大きいほど、提案の場に出てくる顔と、稼働が始まってから現場に入る顔は分かれます。
顧客側PMOの選定面談では、何を聞けばよいか
顧客側PMOの委託先を選ぶとき、利害の軸は売上の構成を聞けば確かめられます。難しいのは能力の側ですが、面談では次のように聞くと輪郭が出ます。「直近のプロジェクトで、要件の範囲をめぐって発注側とベンダー側の意見が割れた場面を、ひとつ具体的に教えてください。そのとき決定の権限は誰にあり、ご自身はどう動いて、どんな困難のもと合意に至りましたか」。これらの具体性により、実際に矢面に立った経験の厚みが見えます。
体制の軸は、稼働が始まった後の関わり方を聞いて確かめます。提案の場に来ている人のうち、誰がどの会議体に週何日入るのかを、名前と日数で挙げてもらいます。ここが具体で返ってくるかどうかで、提案の顔と現場の顔が同じかどうかが分かります。
顧客側PMOの体制づくりで、よくある失敗は何か
顧客側PMOの体制づくりで当社が見てきた失敗は、2点に集約されます。1点目は、業務に最も詳しい社内の人材を事務局に据えて、そこで手当てを終えたと考えてしまうことです。業務知識は確かに要ります。一方、部門間の抵抗に正面から立つ役は、社内の長期の人間関係の中にいる人ほど引き受けにくくなります。これは人選の巧拙とは別に、立場が生む制約です。2点目は、ベンダー側のPMOに顧客側の調整まで委ねてしまうことです。進捗管理や課題管理は回りますが、部門間で利害の割れた論点だけが、決まらないまま最後まで残ります。
独立系の顧客側PMOは、何ができるのか
タクスフィアは、コンサルティングだけを事業とする独立系の立場から、製造業のERP・PLM(製品ライフサイクル管理。設計情報や部品構成を一元管理する仕組み)・MES(製造実行システム。工場の製造指示と実績を管理する仕組み)の刷新において、顧客側PMOとしてベンダーとユーザー部門の意思決定を支援しています。現在は診断薬メーカーの全社DXに入っており、基幹システム群(ERP・MES・LIMS〈実験室情報管理システム。試験の依頼と結果を管理する仕組み〉)の同時刷新に、顧客管理やマスター管理などの周辺システム連携が重なる中で、システム境界とデータ連携の設計、ベンダーとユーザー部門の調停、アドオン(標準機能にない独自改修)を削減するための判断材料の整理と選択肢の提示を、代表の今仁自身が現場で担当しています。過去には製造業ERP導入を発注者側で、PLM導入のPMOをSI(システム構築)ベンダー側で担当しました。
中立性は現在の売上の構造で決まるものであり、過去の職歴で得た知見とは別の軸です。その上で、受注者側を内側から見てきたことは、顧客側に立つときにむしろ効きます。ベンダーがどの局面で何を守ろうとするか、どの要求が本当に技術的な制約で、どれが自社の都合なのかが読めるからです。中立とは、両側の事情を知った上で、発注側の利益だけを基準に判断できる状態を指します。
よくあるご質問
製造業のERP刷新で、顧客側PMOは自社と社外のどちらが向いていますか
業務知識と刷新後の運用を考えると、顧客側PMOの中核は自社の人が担うのが望ましいと考えられます。社外に委託するのが向いているのは、部門間・ベンダー間の調停、手法とドキュメント体系の設計、判断の第三者検証といった、社内の立場では引き受けにくい役割です。切り出す範囲は稼働日数と対応します。週1日であれば会議体の運営と論点整理まで、週2〜3日であれば部門間の調停と意思決定の設計まで、というように幅が出ます。自社か社外かではなく、どこを社外に切り出すかで設計されることをお勧めします。
ERPのベンダー選定に入る前に、顧客側PMOを置くかどうかも含めて社内で決めておくべきことは何ですか
社内でまず決めておくべきは、評価軸と、その重みづけです。機能適合だけで比較すると、提案書の書き方が上手いベンダーが有利になります。データ連携の範囲、拡張時の追加費用、保守体制、総保有コストまで含めた軸を先に自社で持っておくと、選定の議論が提案内容の比較から自社の要件の確認に変わります。ベンダーロックインは選定の失敗というより、評価軸を欠いたまま選定に入った結果として生じます。
要件定義が止まってしまった場合、途中から顧客側PMOを入れても間に合いますか
間に合う場合が多いと考えられます。停滞の原因の多くは、決める人と決め方が曖昧なままである点にあり、会議体と決定ルールの再設計は途中からでも効きます。ただし、ベンダーとの契約変更が必要な段階まで進んでいると、調整に時間がかかります。停滞を感じた時点で早めに第三者の目を入れる方が、残る選択肢は多くなります。
ERP・MES・LIMSなど複数のシステムを同時に刷新する場合、何が一番のリスクになりますか
複数システムを同時に刷新する場合の最大のリスクは、システム境界とデータ連携の定義が後回しになることです。各システムの要件は担当部門ごとに進む一方、どこまでをどのシステムで持つか、マスターをどちらが正とするかは、部門をまたぐため誰も決められないまま残ります。ここが遅れると、設計の後半で手戻りが集中します。当社の実務でも、システム境界とデータ連携の設計は最初に着手する対象としています。
PMOはAIやAIエージェントをどう使っていくのですか
現時点で実用になっているのは、議事録、進捗レポート、課題・リスク一覧といった文書の作成と整形です。当社が主要なPM向けAI製品を実地で確認した範囲でも、機能の中心は文書生成にとどまっていました。JUASの『企業IT動向調査2026』プレスリリース第2弾(2026年3月公表)では、今回から選択肢に加わったAIエージェントについて「検討中」と答えた企業が約3割(31.2%)でした。当面は、定型の作成作業をAIに寄せ、部門間の調停や、変更を受け入れるかどうかの判断は人が持つ、という棲み分けが現実的と考えられます。運用に乗せるときの壁は、AIにどこまでの権限を与えるか、出力を誰が検証するか、結果の説明責任を誰が負うかの3点であり、この設計を先に決めておく必要があります。
製品ごとの比較はPMI InfinityとGoogle WorkspaceのPMスキル比較、実際の組み込み方はDXプロジェクトのPMOにAIエージェントをどう組み込むか、現場に導入したときに何が起きるかはDXプロジェクトにおけるPMOのトランスフォーメーションで書いています。
当社のサービスについて
タクスフィアでは、製造業のERP・基幹システム刷新における顧客側PMOの支援を行っています。部門とベンダーの間に立って決められない論点を決められる形に置き直し、システム境界とデータ連携の設計、アドオン削減の判断材料の整理まで、発注者側の立場で担当します。
顧客側PMOを社外に委託するかどうかは、体制の話に見えて、実際には決められない論点を誰が引き受けるかという話です。選定に入る前に、自社で決められる論点と決められない論点を一度書き出してみると、委託する範囲の輪郭が先に見えるかもしれませんね。委託する範囲の切り分けからご相談いただけますので、お問い合わせフォームよりご連絡ください。
